2019年2月15日
2019年2月15日
2019年2月15日(金)
サイバーセキュリティは豊かな国づくりの礎
株式会社ラック
代表取締役社長 西本 逸郎
古今東西、私たち人類は道具(技術)を発明・開発してきました。石器や鉄器に始まり、羅針盤や帆船に蒸気機関車、様々な製造機器にコンピュータなど、少し考えただけでも歴史を作ってきた様々な発明品を挙げることができます。そして私たちはそれらを巧みに使いこなしてきました。人類の歴史は「技術の歴史」という側面なくしては成り立ちません。
また、「水道・ガス・電気」といった社会基盤の整備が進み、洗濯機や掃除機、電気炊飯器、瞬間湯沸かし器などの家庭用機器が世に出ました。一般家庭に普及したこれらは重労働だった家事を一変させました。さらに「放送と通信」という社会基盤を活用するラジオにテレビ、電話や携帯電話も私たちの生活にどんどん溶け込んでいきました。
一方、例えば火薬や原子力などの新技術をうまく利活用するには「安全に取り扱えること」が必須となることは誰にも分かります。程度の差はあれど、それはあらゆる新技術にも当てはまります。
つまり「すごい技術」というだけでは社会的に認められないということだと思います。では、社会で認められるにはどのような条件が必要なのでしょうか。第一に、新技術の「登場」にはその技術が力を発揮できる社会基盤の整備が欠かせないこと、次に、新技術の「定着」には「安全に製造して安全に取り扱う術(すべ)」の確立が必要だということです。
既に存在している交通社会に置き換えて考えてみましょう。 交通社会の安全は歩行者と運転者だけで実現するものではなく、関係法令整備や車検、交通取り締まり、交通基盤(道路・横断歩道・信号機など)整備などを行う国・地方自治体、より高性能で安全な自動車を開発する車両メーカー、交通安全教育を担う学校や地域の各種団体、万一の際に補償を行う保険会社など、様々な関係者の努力で成り立っています。
その中で特別な役割を果たしているのが、技術の受益者である利用者です。道路を歩くのも車を運転するのも適度な用心が必要です。もし100%の安全を社会側に求めた場合、高額な費用を利用者は負担せざるを得なくなります。それは現実的とは言えません。この「適度な用心」というのが鍵です。
例えば、自身が自動車や自転車の運転中に他人に怪我を負わせた場合や他人の所有物などを破壊してしまった場合は当然、損害賠償や法的・道義的責任が生じます。運転手の立場では当然ながら用心は必須です。一方、安心して歩いて良いはずの歩行者でも現実には用心は欠かせません。さらに、例えば子供を連れている場合は、自身だけではなく子供の安全にも心配りが必要になります。やはり重要なのは「適度な用心」となります。
さて、サイバーセキュリティです。必要とする社会基盤はインターネットとなります。現在、その社会基盤を活用し、様々なデジタル技術が生み出されています。例えば、AIやIoTにFintechといったものです。誤解を恐れずに言うと、サイバーセキュリティとは、これらのデジタル技術を総合的に安全に取り扱う術となります。
国民が安心して様々なデジタル技術を安全に利活用できるように、国をはじめとする関係機関は様々な制度を作ります。そもそも社会基盤となるインターネットは、基盤事業者などにより安全に安定的に成長発展させてきています。並行して、デジタル技術関連製品やサービスの提供者(事業者)も安全な提供に努めています。そして、保険会社やセキュリティ企業などは利用者や事業者の安心と安全の向上のために補償や対策支援などの役割を果たしています。ここでも利用者は交通社会と同様に「適度な用心」が欠かせません。また、自身の用心だけではなく子供の保護なども求められることがあります。
大原則として、技術は人を幸せにするために発明され活用されるものです。とりわけデジタル技術は、有史以来の未曾有の変革をもたらす可能性を秘めています。それだけに、関係者全員で力を合わせ、日本国民全員がそれぞれの立場に応じてデジタル技術を安全に使いこなし、それを世界で一番利活用している国になることが、これからの私たちの豊かな暮らしの礎になると思います。
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